#author("2026-08-27T12:19:07+09:00;2026-08-26T14:29:21+09:00","default:inoue.ko","inoue.ko") #author("2026-08-27T12:58:58+09:00","default:inoue.ko","inoue.ko") *RYUIKI 流域思考|Watershed Thinking ~ 流域思考とは、人間社会のあらゆる営み(都市設計、防災、農業、日常生活など)を、行政区画や敷地境界ではなく「流域(一つの雨粒が山に降り、川を経て海へと注ぎ出る水循環の面的な広がり)」を単位として捉え直す思考法・ビジョンのことです。 生態学者・思想家の岸由二氏らが1990年代後半から提唱している概念で、近年、気候変動による水害の激甚化や生物多様性の危機を背景に、都市計画や環境デザインの基盤思想として再評価されています。 生態学者・思想家の岸由二氏らが1990年代後半から提唱している概念で、近年、気候変動による水害の激甚化や生物多様性の危機を背景に、都市計画や環境デザインの基盤思想として注目されています。 進化生態学や行動生態学を専門としていた岸由二氏は、その科学的知見をベースに、''地球上の生命や人間の活動は、すべて水循環(水脈)の上に成り立っている''という視点を提示しました。行政区画で分断された社会に対し、「水が流れる単位(流域)」を共通の基盤として捉え直すことで、環境保全、防災、地域づくりを統合できると説いています。 //-__[[流域思考>Amazon:流域思考]]__ 岩波書店, 2021 -__[[生きのびるための流域思考>https://www.amazon.co.jp/生きのびるための流域思考-ちくまプリマー新書-岸-由二/dp/4480684050]]__ ちくまプリマー新書, 2021 ~ ~ **山・里・海 鹿児島県・屋久島に伝わる言葉に「山に十日、里に十日、海に十日」というものがあります。自然の恵みや命の循環と共に生きる暮らしの知恵を表す言葉です。 https://yama10umi10sato10.com/ 流域のつながりである、山(森)・里(田畑)・海(漁場)を、一つの「命の循環(流域)」として捉える感覚を表したもので、「どんなに魚が獲れても海には10日しか出ない」というふうに、自然から必要以上に奪わず、バランスを保ちながら暮らす姿勢を意味します。 この感覚は、全体としても「島」である日本列島に暮らす人にとっては、個人の一生の時間スケールにおいて体感できるもので、古くから自然と共生する知恵が育まれてきました。一方で、今日の世界経済は「大陸」で暮らす人、つまり循環の重要性に気づかない(開発の弊害が何世代か後に発覚する)人たちの勢力が強く、自然界からの一方的な搾取を前提とした巨大な開発が続いています。 この感覚は、小さな島を多く持つ日本列島に暮らす人にとっては、個人の一生の時間スケールで体感できるもので、古くから自然と共生する知恵が育まれてきました。一方で、今日の世界経済は「大陸」で暮らす人、つまり循環の重要性に気づかない(開発の弊害が何世代か後に発覚する)人たちの勢力が強く、自然界からの一方的な搾取を前提とした後先を考えない開発が続いています。 ちなみに、花粉症の原因であるスギやヒノキの花粉が増えたのは、戦後から高度経済成長期に行われた大量の植林(拡大造林)と、輸入材との価格競争によってそれが放置されたことが原因です。自然に生えたスギには「直根」があって、山にしっかりと根を張り、山の保水力を高めますが、産業目的の植林は苗を植える段階で直根を切るので、側根が表面に貼りついた状態。大量の雨による土砂崩れの原因となっています。 ちなみに、花粉症の原因であるスギやヒノキの花粉が増えたのは、戦後から高度経済成長期の住宅需要で行われた大量の植林(拡大造林)と、輸入材との価格競争によってそれが放置されたことが原因です。自然に生えたスギには「直根」があって、山にしっかりと根を張り、山の保水力を高めますが、産業目的の植林は苗を植える段階で直根を切るので、側根が表面に貼りついた状態。大量の雨による土砂崩れの原因となっています。 人間の行為の愚かさは、数十年後になってわかることが多い。すべて次世代への負の遺産となっています。人為的に区切られた行政区域、ひいては国境などという共同幻想に惑わされることなく、流域に生きる生物の一種として自然の道理に沿った生き方へとシフトする必要性を感じます。 ~ ~ **水の循環 地球環境においては、系内の「水」が循環することで、エントロピーの廃棄が行われ、動的な秩序が保たれています。資源・エネルギーそのものよりも、その「流れ」が自然に保たれているかということが重要なのです(これは生態系の一部である人間の「体内の血液循環」についても同じです)。 参考:__[[エントロピー>Entropy]]__ 昨今、都心部ではゲリラ豪雨による洪水が頻発していますが、単に降水量が多いというだけの問題ではありません。人工林が放置された山、失われた田畑、コンクリートやアスファルトで覆われた市街地、すなわち、都市部でおこる水害には、流域の保水力の低下がもたらした人災という側面があるのです。山も田畑も道も、水を涵養するという本来の機能が保たれていれば、ここまでの災害にはなりません。 あなたは、自身が暮らす流域の水源を知っていますか。その流域に何があるか知っていますか。 日本の山林はタダ同然で手に入ることから、すでに外国人も含む資本家に私的に所有されているケースが多々あります(2026年、大規模な山林の購入には、国籍の届け出が義務化されましたが、購入自体に規制はありません)。 もしかすると、あなたの住む流域の上流には、産業廃棄物の処理場があったり、水を大量に使う工場が建設されていたり・・地下水の汚染は、あちこちで報告されいます。> [[Google:地下水 汚染]] 半導体工場、AIデータセンターなど先端技術は大量の冷却水を必要とします(原発は海水を利用するので海を温めます)。日本は山国で基本的に水に恵まれているので、水資源の重要性を忘れがちですが、水を求めている産業は多く、そのターゲットになりやすい・・。水も空気も、タダで手に入るものこそ、環境の持続的循環に最も重要な存在であることを知るべきでしょう。 古来、山は水の源として、神の宿る場所として崇められてきました。拝殿のみで本殿の無い神社の多くは、山を御神体としています。流域の源にある山がいかに重要なものであるか、是非、水源を訪れて体感してみて下さい。 -参考: --[[大神神社(おおみわじんじゃ)>Google:大神神社 本殿がない]](御神体は三輪山|日本最古 縄文〜) --[[諏訪大社(すわたいしゃ)>Google:諏訪大社 本殿がない]](上社の御神体は守屋山|縄文〜) -付記: --古代、神様は天から山や森に降りると考えられていて、人々は神様が宿る神聖な地を「神奈備(かんなび)」と呼んで信仰していました。 ~ ~ **流域思考のコアとなる視点 ***「行政の枠組み」から「自然の境界」へのシフト 従来の都市計画やインフラ整備は、市町村や都道府県といった「行政境界」で区切って考えられてきました。しかし、大雨による水害や外来種の繁殖、土砂崩れなどの自然現象は行政境界を無視して起こります。流域思考では、「水脈と地形によって作られた自然の単位」を人間社会の計画のベースに置きます。 ~ ***上流・中流・下流の「つながり(連続性)」を捉える 流域の中では、すべての要素が連動しています。 -上流の森林を手入れしなければ、下流の都市で洪水や渇水が起きる。 -中流で生活排水を流せば、下流や河口・沿岸の漁業・生態系が損なわれる。 このように「遠くの出来事」に見える問題を同じ水系でつながった当事者同士の問題として捉え、上流と下流の連携(例:下流の都市住民が上流の森林保全に出資する等)を促します。 ~ ***「水」を排除せず、「治水+生態系+暮らし」を一体で捉える 従来の河川工学は「雨水を一刻も早くコンクリートの排水路で海へ流し去る(排除する)」考え方が中心でした。対して流域思考では、「水はめぐるもの」として捉えます。雨水を街全体で一時的に受け止め(浸透・貯留)、保全された生態系(グリーンインフラ)や豊かな水辺景観として都市の魅力に変えていく包括的なアプローチをとります。 ~ ~ **流域思考が必要とされる理由 ***気候変動と限界を迎えるハード治水 想定を超える局地的大雨(線状降水帯など)が増加し、堤防を高くするだけ(河川敷・点と線の治水)では街を守りきれなくなりました。流域全体で水を溜める「流域治水」への移行が急務となっています。 ~ ***コミュニティ意識の再生(流域思考の愛郷心) 自分の住む場所を「○市△町」という記号だけでなく、「自分は○○川流域の住民だ」と捉えることで、上下流が協力する広域的な防災・環境保全の合意形成がスムーズになります。流域思考とは、単なる環境保護のツールではなく、「人間が自然の循環システムにどのように寄り添って生きるか」を根本から学び直すためのフレームワークと言えます。 ~ ~